パチスロ まどマギ ワルプルギスの夜 歌

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 それは正にモルトケが告げている砲兵の使用方法で、それまでの「歩兵の前進後、その後方から援護射撃する砲兵の姿」はこの三会戦中に変容し、まずは十分な射程を得る適地に進んだ砲兵が、連続する榴弾砲撃で敵陣を叩き、その後歩兵が突進するという方式が採用され始めるのです

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 現在では当たり前のこの戦術は、正に苦肉の策でした

 それは、仏軍の持つシャスポー銃の性能が独側主要小銃のドライゼ銃を凌駕していたのが原因で、歩兵の突進を文字通りシャスポーの集中射撃で「なぎ払われた」独軍が、敵の主要大砲であるライット式野砲を凌駕する鋼鉄クルップ社製野砲を前面に押し出すことで対抗したために生まれた戦術でした

 この三会戦では歩兵より前に進んだ砲兵が、長射程のシャスポー小銃の狙撃で倒されたり、歩兵に肉薄されて全滅状態になったりと散々な目に遭いましたが、これも後に、歩兵の十分な護衛・援護と敵から十分に離れた陣地に展開することで解決を図って行きます

つまりは、臨機に行っていた砲兵の展開と砲撃を、当初から作戦に組み込んで十分に検討した後、計画的に実行することになる訳で、砲兵士官の地位や作戦を練る参謀の重要性は必然高まることにもなったのでした

1058高地の第9軍団砲兵 また、劣るとはいえ独軍が長年親しんで我がものとするドライゼ小銃も、敵味方の距離500mを切れば鍛えられた独軍兵士の技量により命中度はシャスポーに負けず劣らず、要は「引き付けて撃てば互角」、その使い様でした

 普軍統帥部は、やむを得ず防御する仏軍に突進する場合は、各隊縦列で進み部隊を連ねて横隊となる「縦列横隊」の隊形を用いるよう命じていました

これは当時の普軍の教範にある「縦長の隊形により戦闘にあたれ」との原則を忠実に守り、戦闘正面を狭くして急速に敵陣へ迫る(前が倒れても後続が直ぐに代われる)方策です

しかし、縦列を持続することは流動的な戦場では中々に難しいことで、突撃は横へ広がり易く、時間経過と共に部隊は錯綜し生き残った兵士らが臨機に合流し敵と戦う場面が多く見られます

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しかし、防御戦闘とは概ね近距離で発生するもの(敵陣を突破、占領するには砲兵力だけでは無理で、最後は歩兵の突進を要します)なので、十分な戦力を計画的に用意し、砲撃による敵の衰退後に集中した突撃を行えば、犠牲は自ずと減って行くはずでした

 この「劣る小銃と勝る大砲」の組み合わせと、「蛮勇を以て無闇に突進した果ての大損害」という結果が、この後の独軍の戦闘を「石橋を叩く」式にするのでした

 「砲兵やザクセンの輩如きに頼らずとも」とプライドを賭して突進し戦場の露と消えた多くの普近衛将兵の姿は、その後の独軍将兵に対する大きな「反面教師」となるはずでした

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サン=プリヴァ墓地への突入 この独軍統帥部の慎重な行動は直ぐに現れました

 仏第6と第4軍団は会戦後に夜を徹してメッス方面へ後退し、プラップヴィルからモーゼル河畔までに弱々しい防御線を敷きましたが、その秩序は乱れ戦意は無きに等しかったにも関わらず独軍は追撃せず、独軍統帥部はただザクセンの1個旅団をモーゼル渓谷に送り込み、ティオンヴィルとメッス間の連絡を絶つのみで満足したことです

 もし、この時にメッスを北側モーゼル渓谷から強襲していれば、2、3日でメッス要塞は陥落しただろうに、と責める戦史家もいるほどです

 しかし、これはどう考えても独軍に酷な判定で、犠牲と疲弊を回復する時間は必要であり、また、新たな局面(西へ進んでマクマオンと戦う、というような)を部下に与えて「グラヴロットの悪夢」を払拭し人心を一新させたモルトケは「流石に名将」と思わせるものがあるのです